甲子園の土はいつから持ち帰るようになったのッ?誰が初めてなの?

今日の話題は甲子園の土です。
甲子園大会で、球児が戦ったあとは土を持って帰りますよね?
あれってなんでなんだろうー?って思いまして。
今日はその話題です。

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いつから?誰が最初?

甲子園の土をもって帰るのは、いつから誰がやりだしたこと?

まず、甲子園球場って、どこにあるんでしょう?
大阪と思っていた人は?
(私とおんなじですね)大阪じゃなくて兵庫県!です。

西宮とか、神戸とか。イメージして下さい。

甲子園球場の「甲子」は球場が完成した1924年が、「甲子(きのえね)」の年に当ったためにそう呼ばれました。

それと、甲子園の経営母体は確かに大阪なので、イメージ的には「えー大阪にあるんじゃないの?」,,,とか確かに思えますし、ある意味ハズレというわけじゃないです。

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私なんぞには関西って、神戸も大阪もわりと、遠い異国なので、
(雪が降らないところは、キミにはみんな外国なのか?と自分で突っ込みました)

 

土を持って帰っていた最初の人は?

これには諸説ありまして。
    1. あの読売ジャイアンツの大監督でボールが止まって見えたとされる「打撃の神様
      川上哲治氏、ではないかという説。
    2. 産経新聞(94年8月13日付)によると「昭和22年の29回大会で優勝した小倉の福島一雄投手」が持ち込んだという話もあるんです。が、いまいちはっきりしません。
さらに、
  1. 沖縄の首里高ナインが、1958年の大会で甲子園の土を持って帰ろうとしたら、本土から検疫上の理由で持ち込み禁止!とされ、せっかくの土を捨てた。
    これが反響を呼び「土を持ち帰るのが一般化した」という説。
,,,と大雑把に分けて3説があるのですが、戦前からどうも土を持って帰っていたのは間違いないようで、川上氏も福島氏も、「いやどうも僕たち以前から持って帰っていたみたいだよ」との話も出てきます。

残念ながらみんな昭和初期から大正世代の方々なので、私もわかりませんでした。
それにあまり、最初にだれがー?っていうのも、意味をなさないような気もします。

理由は、高校野球(旧制中学野球)自体は、明治時代からありまして。
何かしらすごーい歴史が古いことはわかりました。

もしかしたらその頃の早慶戦(大学野球)から土を持って帰る風習もすでにあって、
高校もそれにならったかもしれないし。

いずれにせよ、今みたいにみんなが全員、土をつめてもって帰る式ではなかったみたいですね。

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じゃあ文句なしで「有名」になったのはー、っていうと?
やっぱり首里高生のエピソードですかね。

1958(昭和33)年。
沖縄はまだ日本じゃなくてアメリカだったんです。
で、その時は第40回の記念大会だった。

沖縄から戦後初めて参加
久しぶりに全国47高そろった夏の甲子園決勝で首里高は準優勝となったのです。

昭和30年代でテレビは1台10万円くらいしたって。
国内で高卒の公務員の初任給が4000円の時代です。

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しかも、沖縄に日本本土の土すら持ちこめなかったんです。
那覇港でせっかく持って来た甲子園の砂を捨てさせられたって。
そういう、時代があったんです。

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甲子園の土は、どこの土を補充してるの?

甲子園の土ですが、水はけがいいように土だけではなく「砂」もブレンドされています。
これが、特別な砂。
中国の福建省だったり、国内各地の約4~5か所くらいから選ばれた砂です。

春の大会で、土と砂の比率が4対6だったり、夏で6対4だったり
その時々で調整されているようです。
だから甲子園に水たまりって、出来ないですよね?

みなさん、じつは土ひとつにもこういった、細かな心くばりがされてるんです。
私も知りませんでした。
土に砂が混じってたなんて。。。

 
最後に
首里高生の後日談
土を捨てたけど、石は持ち込んでもいいはず。
そうして、沖縄には甲子園の「小石」が代わりに持ち込まれた

いまも、首里高の校門に石はあります。
「甲子園の土」の、隠れた話です。

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あ、、セミが今日も鳴いています。

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